叙 勲  なし

 

 訃 報   なし

 

         会員活動              平成30OB会親睦旅行について

  平成301022日(月)OB会親睦旅行を実施しました。

  当日は朝から快晴で集合場所の湯河原駅改札に13時に参加者10名が全員集まりました。

  小田急線を利用する方、特急で熱海へ行き戻ってこられた方など、それぞれの事情に合わせて13時までに全員が集合しました。

  遅めの昼食をとりながら、行動予定の確認をし、14時に宿泊先へ向かって行動を開始しました。

  國廣さん他2名は徒歩が困難の為、宿の迎えの車を待ちその他7名は徒歩で途中の御所神社の楠を見たりしながら宿泊先まで徒歩で向かいました。

        

 

 

 いずみの湯、まんよう公園・町立湯河原美術館を横目で見ながら目的の宿泊先「花長園」にたどり着きました。

 それぞれの部屋に分かれて休憩の後に温泉に浸かりながら休憩後、16時頃から自主的に部屋に集り教育談義やら近況を語り合ったりして大変盛り上がりました。

 また多くの方が、膝の具合がよくない、など体調の変化を嘆く話が多く、はじめのうちは酒も遠慮がちにやっていましたが時間がたつにつれ、現役時代の元気さがよみがえり、楽しくにぎやかになりました。

 年に一度くらいは毎日の生活を忘れて旧友と語り合うことも元気を取り戻すのに必要なこととつくづく感じた時間でした。18時頃になり、そろそろ夕食の時間と思ったのもつかの間、夕食は19時からと聞かされ、皆さん再度ギアチエンジ・・・・夕食までには相当出来あがってしまいました。

 やがて、夕食の準備ができ本格的に酒宴が始まりましたが、話題の中心は何であったか?とにかく皆さんそれぞれに、多くの話題を持ち出し楽しい会話が弾んだことを覚えています。楽しい酒宴も和やかに終了し、各自部屋に戻り、第一日目は無事に終了しました。

 二日目は、用事がある奥村さん、萩原さんは朝食後に帰宅されました。残留組はゆっくりと10時に玄関前に集合し、記念写真を撮影したのちに、万葉公園を散策しながら駅まで変えるグループと、直接バスで帰宅するグループに分かれ無地に解散しました。

 

          

            翌朝玄関先での集合写真。(私用で先に帰宅した奥村さん、萩原さんを除く)

 

来年度総会予定  元号がどうなるかわかりませんが、今のところ511日(土)を予定しております。

 

会員投稿

        誰も置き去りにしない社会づくり   前回vol 21からの続き 國廣 宗猷 

     ~ 立ちすくむ社会に新しい風を吹き込めるか~  

 10 豊かな森づくり、 “森は命の宝庫”

 家族と地域と自然を守ってきた日本は、発展の過程で猛烈に環境を破壊してしまった。かって、コメの生産を上げるため、田んぼに農薬を振りまいた。それにより、稲穂を食い散らかす昆虫はいなくなり、どじょうやフナなどもいなくなった。それらを餌としていた朱鷺は、絶滅の状況までおいこまれた。この時、人間は、自然の与える力はどんなに大きいか、自然との調和を図ることの大切さを身にしみて分かったはずである。自然には限度のあることを自覚しなければならない。空気や水や土は、あらゆる命を支えるものである。空気や水や土は、一度汚れると回復するまでに何十年もかかる。福島原発事故の放射能という農薬も、将来どんな問題が生ずるかと思うと心配である。自然が再生力を失ってきている。経済発展のためとはいえ、環境保全に力を注がなければならない。自然は、水源として、また土砂流出防止、野生動物の保護、大気保全などの価値を判断すると75兆円にのぼるという。経済成長と環境保全のどちらを優先するか、もっと環境保全に目を向けなければならない。しかし、自然を放置するのも問題がある。シカ害は深刻で、抜本的な解決策がない。松枯れや竹林の拡大なども課題である。

 日本の森林資源は年に約8000万立方メートル増える。だが、利用しているのは2000万立方メートル足らず、放置されてジャングル化している。アルプスの国スイスは林業をうまくやっている。スイスの林業は、人件費の高さや地形の急峻さなど日本の林業との共通点が多いという。スイスは「山の価値を高める林業が必要」として固有の種を育て、手入れをしながら収益を得る持続林業に転じている。

 日本の森林政策は転換期にある。政府の森林・林業再生プランは、「コンクリートから木の社会へ。中央主導から市町村主導へ。国土保全から循環型の地域産業づくりへ。」という方向性を打ち出している。ところが現場では長期的視点を欠いた補助金頼りの林業が相変わらず大勢を占める。

 「近自然学」の提唱者・山脇正俊氏は、環境への配慮と経済を両立させるために「システムを変えなければダメ」という指摘する。危険な農薬は初めから持ち込まないというシステムが必要であろう。

 登山家・田部井淳子氏は、健康のための山歩きブームを引き合いに「病院に払うお金を森に払うぐらいの気持ちはみんな持っているが、そんな制度はない。補助金を当てにするより、自然に感謝する気持ちを育むように森も整備して欲しい」と森への期待が大きい。

 植林活動 “森は海の恋人〃というキャッチフレーズで環境問題に取り組んでいる畠山重篤さん(牡蠣の森を慕う会の代表者)は、1989年から宮城県気仙沼に流入している大川上流で植林活動を行っている。陸が雨水を保水する機能が弱くなり、湾に流入している川の水量が極度に変動すると、カキやホタテのなど海の生物が著しく減少してしまう。森林が伐採されたあと、裸地のまま放置されると、長年にわたり培われた腐植土が雨によって流出してしまい、保水という重要な機能もなくなってしまう。保水機能がなくなると、大洪水になったり、渇水になったりし、魚介類の生息が危ぶまれる。河川の上流の大森林が、豊かな海を支えているのである。

 北海道襟裳岬は、300年前、アイヌの人々が生活しており、広葉樹の原生林で覆われていた。明治以降、本州からの入植者が森林を伐採した。土砂が風や雨により海に流失したため、沿岸の根付き魚をはじめ回遊魚もいなくなり、漁獲量は激減した。漁師は、漁場を失い、漁業で生計を立てることもできずに移住等が行われた。襟裳岬の再生は1953年、浦河営林署によって植林が始まった。2007年には砂漠化した約95パーセントの森林が蘇っている。森の10年は人間の1歳に相当するから、襟裳岬の森林はまだ5~6歳である。森林が昔のようになるには、これから数百年かかるともいわれている。人間にとって最も大切なのは水と空気であり、その水と空気を創っているのが森であり、それも森の葉っぱである。その葉っぱがなければ生物は生きられないのである。

 

11 ゼロエネルギービル(未来のビル)

 東大駒場キャンパス(東京都目黒区)の五階建ての「理想の教育棟」は、将来のZEB(ゼブ:ゼロ・エネルギー・ビル)を先取りした建物だ。特徴の一つは、窓ガラスと、裏表を白黒に塗り分けたアルミ板を組み合わせた回転ルーバー。夏は白い面を外に向けて日差しを跳ね返し、冬は黒い面を表にして日射を吸収して室内の空気を暖める。

 地下水を使った冷暖房も取り入れた。地下20メートルからくみ上げた水をヒートポンプで温度を調整し、天井パネルに流して空調する。地下水の温度は年間を通じて約一の7℃で、初夏にはそのまま循環させることもできる。これらで冷暖房のエネルギーを減らす一方、屋上に設置した太陽光発電も組み合わせて、ZEBに近づけるねらいだ。東京大生産技術研究所の大岡龍三教授は「大学の施設の平均値と比べ、エネルギー消費量は約半分に減っている。今後、さらに調整を重ねて減らしたい」と話す。

 また、平成24年4月に、太陽電池パネルですっぽり覆われた東京工業大学の研究棟「環境エネルギーイノベーション棟」が完成している。設計段階で建物の表面温度をシミュレーションする手法も向上している。東京工業大の梅干野晁連携教授は、三次元のCADで設計した建物を、その土地の気候データと組み合わせて、どんな温度分布になるかを表示するソフトを開発した。建物に使われる材質や、周囲に植える木の高さなどが、表面の温度にどんな影響を及ぼすか事前にわかる。こうしたシミュレーション結果を元に、冷暖房に使うエネルギー消費を抑えた建物作りに成果をだしている。

 デジタル化などでエネルギーの使用量が伸び続けるオフィスビル。節電の重要性が高まるなか、省エネや自前の太陽光発電などを組み合わせ、消費エネルギーをゼロに近づけるZEBの実現に向けた取り組みが行われている。人の気配を感じてピンポイントで照明がつき、夕方の西日は日よけのよろい板のルーバーが遮る。地下水を使った放射冷房で真夏もひんやり、2030年には、こんな職場がいくつも実現しているかも知れない。

  

12 人ありて人なし・・・競争でなく想像力の基礎を、知恵を使い、言葉を使い、時間を使える人の育成を

 立教大学教授、内山節先生が群馬県上野村住まれである。毎週開かれる「語り部の夕べ」で子供の頃の話をしている。

 「何もない時代だった。米だけの飯などなかなか食べられず、食べられるものは何でも食べた。しかし、悲惨な時代ではなかった。あの頃の人間には、子供をふくめて、すごい力があった。何でも自分たちでつくりだす力があった。子供たちは、目にみえるすべてのものを遊び道具に変えていった。木を切り、それを削り、草で縄をなって、自分たちの遊び道具を完成させた。そして、あの頃は、誰もが自然の動きを受けとめる力をもっていた。

 他の人々の気持ちを受けとめる力ももっていた。自分の生活も大変なのに、自分の仕事を放り出して他人のために働く余裕を、村人はもっていた。因っている旅人は、どこの家でも泊めた。いまは、いい時代なんだろうと思う。一軒に二台も三台も車がある。食べ物の心配をする人もいない。何もかもがある時代になった。しかし私は、もしもできるのなら、何もなかった時代に戻りたいと思う。」と話を閉じている。

 何もない時代では、子供は子供なりに、競争ではなく自分の創造を生かして何かを作っていた。また、共に生きていこうとする心を持っていた。そこには人間の仲間と共に生きるという素晴らしさが感じられる。

 日本がアジアのリーダーとして人材たらんことを願うには、常に自己を統制し、「共生」という言葉が身についた思いやりの人間づくりが必要である。

 「個人の意識改革」「政府・企業の意識改革」「教育・人材への投資」この三つを連携させ、心ある人材を育成し、科学や技能・技術を発展させたい。新産業を創造するなど、科学技術における競争力、発想力を支える一番大事なのは教育である。日本の学校では、先生に与えられた問題を、学生が解くことが中心の教育になりすぎている。目標達成には様々な知識が必要だが、一番大切なのは感性(思い入れ)であり、それは学びによってさらに高みに達していく。科学技術で成功するには、与えられたことだけをやるのではなく、やりきる意志が大事である。多様な人材が必要なのである。そのような人がいるようでいないのが実態であり、いまは、人ありて人なしの状況が感じられる。

 元文部大臣の有馬朗人さんは、「工学の究極は、人間の幸せをゴールにしていることであろう。その出発点は感性である」と指摘する。「感性」は、国語辞典によると「刺激に反応して感覚を生じる能力」と記してある。感性には、訓練によるものと生まれつきのものがある。感性を育てるのは、遊びが大切。大学では遅すぎる。個々のセンスを高めるには、多くの体験を積ませるしかない。幼稚園の先生が、感性ということを重視しながら、泥んこになって遊ばせている姿が思い出される。まず好きなことを自由に行うことにより感性を伸ばしたい。

 感性を耕やかし、人のためのものづくりの出来るのは、確かな技術と豊かな心である。その基本は、家族、郷土、祖国を愛することであろう。学校、その土地の空、風、雲を思い出して涙する情緒こそ国際人になる基本と考えられる。多くの体験により、家族愛、郷土愛、人類愛という最も崇高な愛が自然に生まれてくるものである。郷土の自然、文化、伝統を愛する人は、祖国のみならず他国の人々と同じ思いを理解できるであろう。このような情緒を教えることが人づくりの大切な基本であると考える。

 世界との競争をどう勝ち抜くか、社会の要請にどう応えるか、地域の低迷をどう脱するかなど視点に立てば、競争力の強い先進産業、市場ニーズに応えた産業、地域の再生を担う産業の開発は必要であろう。安倍首相の言う「人づくり革命」が、感性を育てる教育と結び付き、知恵を使い、言葉を使い、時間を使い人々を幸せにする人をそだてることに繋がればいいと思わずにはいられない。次世帯の人材育成を怠れば先がないことは明白であるからである。

 

 参考文献

 私塾・リチャード・ルビンジャー著、日本人をつくった教育 寺子屋・私塾・藩黌・沖田行司著、二十一世紀日本はこう変わる・牧野昇著、流通列島の誕生・林玲子・大石慎三郎著、文明の災禍・怯えの時代・ 内山 節著、「里」という思想  ・内山 節著、明治のエンジニア教育・三好信浩著、競争力基盤の変遷・港 徹雄著、清貧と復興 出町譲著、科学と人間の不協和音 ・池内 了著 、明治百年・小野俊太郎著、子どもの声を社会へ ・ 桜井智恵子著、「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け ・寺脇 研著、中小企業における技能承継の現状と展望 ・中小企業金融公庫調査部、下山の思想    五木寛之著、「希望の島」への改革・ 神野直彦著 、日本近代化と教育・ハーバート・パッシン著