誰も置き去りにしない社会づくり

 

~ 立ちすくむ社会に新しい風を吹き込めるか~

 

プロローグ

 

 私は、平成元年に管理職試験をうけ、平成2年に教頭要員となり、平成3年に東京都立府中工業高校の教頭として赴任した。その後、東京都立田無工業高校の校長となり、退職後は、東京都教職センターで管理職並びに管理職候補者の研修に当たり、その後、上智大学で講師を勤め、平成の時代をがむしゃらに過ごしてきた。

 

その平成時代ももう終わりである。平成時代は、昭和の時代を引きずったまま、あわよくば昭和のよき時代に帰りたいという思いの中で、何もかもが中途半端に終わろうとしている。

 

安倍政権は、「地方創生」「1億総活躍」「働き方改革」と毎年のように新たな名前で看板政策を打ち出してきたが、いずれも道半ば。今回はさらに壮大で、「人づくり革命」を打ち出した。論点は、教育無償化などの拡充、高等教育改革、企業の人材採用の見直し、全世代型社会保障への改革の四つである。「人生100年時代」という旗印を挙げて、教育や社会保障の制度を抜本的に見直す壮大な構想だが、どれも大切だが、実現が難しいテーマばかりである。

 

安倍首相は、民心の声を聴くために、改革の柱を示したまま国会の解散を宣言した。解散劇により、国会の権力争いに向けて世の中が騒がしい。次の世がどのようになっていくのかよくわからない状況である。民心の声に耳を傾け現状を正しく理解すれば新しいグランドデザインが見えてくるであろう。大いに期待している。

 

作家の堺屋太一(82)は、20年前、朝日新聞に「平成三十年~「何もしなかった日本~」という小説を連載した。

 

東京一極集中が続いて地方は衰退、国の借金は増え続ける。そんな平成30年の日本を描いていた。「現実は、その予想よりもさらに『何もしなかった』のが日本でしょう」と振り返えっている。

 

 中国の歴史の中に「『明の末期』」の記録がある。「君主も宰相もその人を得ず、宮中の奥に仕えている官官も女中もばっこして政治に口をはさみ、賄賂が公然と行われ、兵馬は衰弱し、国庫は空になり、政治といえばただ金銭をやりくりするだけであった。」とある。今の国会議員は、どれだけ「詩」や「礼」を学んできたのだろうか。詩とは、志を表現したものである。詩を学んでない人はまともな話はできない。志のないところに政治はない。また、説明責任など「礼」を逸することがあれば、社会の中ではやっていけなくなる。森友・加計学園問題等などに奥女中などがかかわっていなかったのかどうか疑問が残ったままである。もっと国民に分かりやすく礼を尽くして欲しい。現在の日本は、あくまでもグローバル社会において、競争だけに力を入れ、人類の共生という方向には目を向けようとしない。国庫は、大赤字のまま、これからさらに子どもの数が減り続ける少子高齢化の中で、これまでのつけをどのように若者にバトンタッチしようとしているのか。どうも今は、『明の末期』に当てはまることばかりのような気がしてならない。政策全ては人間の生活を守るためにある。政策がだめだと人の命にかかわる。武田信玄の歌に「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」というのがある。誰でも知っている歌詞だが、これからも政治を行う上での道標となろう。

 

現在は、景気回復、少子高齢化、安全保障問題などの政策論争で新しく政党が立ちあがった。それは、小池百合子都知事の率いる「幸福の党」である。他の野党を吸収し、昔の55年体制を再現するかの勢いである。現在の日本は、少子高齢化への対応が最も大きな課題であることは分かっていたのに、平成の時代は何もできずに、変化に追いつついていけなかった。分かっていたのに手を打たなかったのは、上の世代の責任である。今、国民から、大きな変革の声があがっている。平成29年の総選挙で、どの党が躍進し、変革を目指していくのか。モデルなき時代をどう切り開いていくか。これまで工業教育の一端を担った者として、立ちすくむ国家に活を入れたい。茹でガエルにならないように。

 

平成29年10月1日     國廣 宗猷

 

1 豊かな社会を求めて

 

豊かさとは 

 

以前、朝日新聞に、「真の豊かさとは何か」について、劇作家の倉本聴さんと、山田養蜂場の山田実生さんの対談が掲載されていた。

 

今の日本人は、一流ブランド品を手にし、世界のグルメを楽しむなど、私たちの先祖が夢にも思わなかった豊かさを享受している。それが本当の豊かさなのだろうかと。「豊か」を辞書で引くと「裕福(リッチ)で幸せであること」と書いてある。

 

私たちは、リッチだけを求め、幸せの部分を忘れてきたように思えてならない。お金さえあればひとりでも生きていけると思っている人達が多い。そこには利他の心や慈悲の心のない、自己中心的な人達ばかりがいる。現在の日本は、ものに対する多消費が目立ち、本当の「豊かさ」をあまり実感できていない。豊かさを感じるためには有意義に働き、有意義に暮らすという生き方が必要であり、経済はそのための手段でしかないはずである。経済成長を追いかけた日本勢は、もはや世界の人達の眼中にないかのように衰退してきている。

 

ヒマラヤの起伏の激しい九州程度の広さの山地に、70万人程度の人が住む農業国・ブータン王国がある。ブータンは、「あなたは幸せですか?」という問いに、97%の回答者が「はい」と答えた国である。それから「幸せの国」と呼ばれ、一躍有名になった。(ちなみに、日本は、国民総幸福量で平成29年は51位である。)ブータンは、経済成長自体が国家の目標ではなく、目標はただひとつ、国民の幸せを求めた国である。経済成長は幸せを求めるために必要な数多い手段のうちのひとつであるかもしれないが、富の増加が幸福に直接つながるとは考えない。生きとし生けるもの全てに対して、思いやりと親愛の情をもって接し、利他の心を忘れない、豊かな心を追求し、慈愛に満ちた心の育成は、自然との共存により豊かな実りを生み、「国民総幸福量」という目に見えない価値に向かって経済を循環させたのであろう。ブータンのティンレイ首相は、「生活の基本条件の多くが、まだ満たされているわけではなく、政府は、すべての村に道路を整備し、すべての家庭に電気を届け、学齢期の子どもが学校に行けるようにし、各家庭に水道も届けようと努力している。しかし、グローバル市場の影響から逃れられずに、人々の消費意欲が膨らみ、自動車や建材などの輸入が急増している。縫い針から電子機器に至るまで、輸入に頼り、国民の多くが農民だというのに、外国から野菜も買っている。私たちが自立を忘れてしまった結果かも知れない。教育や雇用をもっと与えなければならない。」と課題を指摘している。ブータン王国はゆっくりとした近代化を歩んでいる。先進国がなくした人間の「心」をブータン王国の人々は培っているのである。ブータンの国王は、「近代化がもし、心の豊かさを侵す時がきたらブータン王国は滅びていく。」とも言っている。

 

日本は、高い技術があり、アジアの市場は沢山あったにもかかわらずそれを生かせなかった。現在、日本の経済規模は20数年前とほぼ同水準にとどまっている。物価上昇率はゼロに等しく、名目国内総生産(GDP)も減少の道をたどっている。

 

安倍政権は、強いリーダーシップをとり、アベノミクスと呼ばれる経済政策を打ち立て、「日本をとりかえす」をスローガンに、「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」の「3本の矢」を放ち、円高とデフレの解消を目指し、安定成長に向け、総動員をかけている。株の値段は上がったが、一般庶民には景気が向上したという感覚はない。

 

 これまでの日本は、心理学者のマズロー(アメリカの心理学者)が示す人間の欲求のように、物質的な欲求を満たすためのものであった。現在の成熟社会では、心の豊かさを求める欲求に移行してきている。人間の幸福のために、企業があり、政府があるはずである。人間の求める欲求を忘れた現代は、明らかにハンドルを切り変えなければならない。ハンドルを切り間違えてしまえば、アクセルを吹かせても、地獄に向かって突き進むだけである。早くハンドルを正しい方向へ切り替えなければならないだろう。経済的豊かさよりも、心の豊かさを求め、他者と競争する「奪い合い」から、他者と共存・共感する「分かち合い」の方向を選ぶべきであろう。北朝鮮の問題などにぐちゃぐちゃかまっている暇はない。

 

● 成熟社会の日本のあり方

 

日本経済は、高度経済成長期で青春を味わい、今は、成熟した経済社会に入っている。成熟した経済社会とは、豊かさが実現され、生活に必要なものが国民に行き届いた状態である。

 

このような社会になると、人々の購買意欲は下がってくる。モノをつくっても儲けにならず、薄利多売に陥り、減収になった企業は、急成長中の新興国へと進出する。そのため、国内で働く人々の賃金は安くなり、雇用機会が減少し、失業率は増加し、経済は勢いを失っていく。歴史的に見ても、経済成長が永遠に続くことはない。古代ギリシャやローマ、イギリスの勃興と没落を見ても、国家の繁栄には限界があり、やがて新興勢力に追い越されていく。

 

日本は国内総生産(GDP)で中国に追い抜かれたが、日本がかってきた道を辿る中国をライバル視しても、日本の未来へのヒントとはならない。成熟経済に入ってきた日本においては、昔のような経済成長は望めない。これからが新しい経済を生み出す日本であると考えられる。

 

第二次世界大戦後の焼け野原、毎日の食料を得るのも儘ならぬ時期から産声を上げた日本の社会・経済は、朝鮮動乱の時代を経験し、1991年のバブル崩壊まで、多少の浮き沈みはあったものの、新幹線・高速道路等の建設などを発達させ、列島改造論などと言われながら、経済成長を続けてきた。世界から注目されるいわゆる経済大国となった。日本人の殆どは、その時の経済発展の味が忘れられないでいる。それ故に、これまでの衆議院選挙で、経済の成長・活性化が必要という声が多い。あの高度成長期の頃の勢いが忘れられないのであろう。

 

国を挙げて内需拡大や新しい産業の育成を目指しているが、歴史ある企業すらも経営が苦しくなってきている。一方、工場の多国籍化など、苦しさを増すばかりである。かっての経済成長戦略は、もはや古くなっている。何時迄も同じような経済政策を続け、そこに税金や人的資源を投入することは、逆に国家の勢いを削いでいると思われる。そこにストップをかけられる政治がもとめられる。小池都知事の言うように全てを「クリアー」しなければならないのかもしれない。

 

日本には、バブルといわれるまでの経済成長期に蓄えた富があり、これが一番大きい大債権国となっているのである。しかも、一億以上の人口を抱えて、道路や病院、水道、電気だののインフラがこれほど整っている国は世界中で珍しいことである。今の日本の状況を苦難と見るよりも、前途に大きな希望を抱え、自分たちが主人公になって、これからの世界の基準を作っていく立場にならなければならないと自覚したい。

 

2 近代産業の移り変わり

 

  昭和の時代は、「激動」「戦争と復興」「高度成長」「バブル経済の狂乱」の時代だった。いまだに、「昭和の標準モデル」を前提にした制度と価値観が、続き、変革の妨げになっている。終わった昭和に夢よもう一度とすがり付いている日本がある。平成は、昭和とは環境が変わっているのに、考えや仕組みを変えられない。少子高齢化、格差と貧困(子供7人に1人が貧困)、非正規雇用(3人に1人)、シルバー民主主義などの現実を背景に、多くの課題が噴出している。その負債はこれから若者に回される。未来を育む土壌をどうやって次世代にバトンを渡すのだろう。

 

    • モノづくり企業は惨憺たるもの

 

「パナソニック 二年連続で巨額赤字」、という見出しがあって数年がたつ。戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった「三種の神器」で成長を続けたパナソニックであるが、円高も手伝い、二〇〇八年には、韓国勢のサムスンやLG等が安いリチウムイオン電池の量産を始め、韓国勢と日本勢のシェアは逆転した。そしていまだ韓国勢との価格競争に太刀打ちできずにいる。パナソニックだけでなく、NEC、シャープ、東芝(粉飾決算)などあらゆる日本の大企業の業績にブレーキがかかっている。海外勢との技術差がなくなり、価格競争が激化する中、自国の市場が小さく、グローバル展開を試みてはいるが、円高や厳しい雇用規制などもあって販売競争に勝てなくなっている。国がつぶれてもこの会社はつぶれないと思われていた大企業が惨憺たる状況である。国民は不安を隠し切れない。

 

問題は競争力の低下だが、日本企業は経営者も社員も危機感が薄れていたのではないかといわれている。仕事の意欲と効率を共に高める新しい働き方を模索しないといずれ競争から振るい落とされてしまう。「現代」を支えるシステムが複雑かつ巨大過ぎて、まだ日本の技術は大丈夫だという安心感が、解決への手立てを遅らせたのが現実であろう。

 

日本だけでなく、世界の国々が、リーマンショック以来、「先の見えない時代」へと移行している。こうした社会状況だから、人びとの顔が暗くなるのかもしれない。

 

少子化については、日本の人口は、2000年~2010年がピークで約1億3000万人。その後、少子化が進み、2050年ごろには8000~9000万人まで減少していくと予測されている。人口とGDP(国内総生産)の割合は、大体同じであると言われている。そのため、日本の経済力の低下が懸念される。

 

世界における科学技術という競争力は、スイスの調査会社によれば、日本は1990年に世界トップだったが、今はGDPに加え、競争力も26、27位にまで落ちている。資源のない我が国は、科学や技術の発展に努め、日本の持つ技術力を生かし、日本特有の製品を作る必要がある。

 

アメリカの経済誌『フォーブス』(アジア版)が2011年に発表したアジアで「最も収益性の高い企業」50社のリストによれば、中国企業が23社で圧倒的なトップ。以下、韓国企業8社、インド企業7社、オーストラリア企業3社、インドネシア企業とタイ企業が各3社で続いている。日本は、これにランクインしている企業は1社もない。

 

 いまや日本だけにしかない素晴らしい技術があるとすれば、それは「町工場」の職人技とでも言うべきものかもしれない。

 

● リーマン・ショックとは

 

2008年9月の米証券リーマン・ブラザーズ破綻後、たった3カ月で世界の風景が一変した。世界経済は、急激に冷え込んだ。アメリカでは、リーマン・ショック直後にオバマ大統領が誕生した。オバマ大統領は就任直後から、大型の景気対策を打ち出すなど、経済・雇用対策を最優先課題として取り組んだが、米国の財政状況は急速に悪化し、失業率も8~9%の高い状態となった。現在、トランプ大統領も、米国の回復に努めている。1989年以前は、米ソの対立が続いていたが、1989年、ポーランドで自由選挙が実施されるや民主化の波は瞬く間に東欧全域に拡大した。そして、1989年に東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が突如崩壊し、翌12月にはジョージ・ブッシュ(ブッシュ米前大統領の父)、ミハイル・ゴルバチョフの米ソ首脳が冷戦終結を宣言した。わずか半年で戦後世界の基本構造だった自由資本主義と社会共産主義の対立軸が消えたのである。世界の大きな壁が破壊されたのである。

 

 それからは、米国中心の資本主義が急速に進み、グローバリゼーションが進展していった。ヒト・モノ・カネの移動が盛んになり、国境の垣根はなくなった。先進国だけでなく新興国や途上国も成長と雇用拡大が進んでいった。

 

金融では、ウォール・ストリートの欧米巨大金融機関が、世界金融を実態支配する構図ができあがり、カネの力を背景に、サブプライムロ-ンというグローバルなマネーゲームに興じた。サブプライムロ-ンとは、信用力の低い個人向け住宅融資の高金利ローンで、低所得者に返済不可能を見越して家を購入させ、返済ができなくなったらその家を売却させ、新しい家を買わせるという、家が値上がりするという前提のもとに貧乏人から金の生る木に変えるというゲームである。ゲームが破綻したとたん、銀行からの金の流通が止まり、世界はカネ詰まりとなり、日本を含め各国経済が急激に冷え込んだのである。

 

● モノづくりの中心は他国に移動

 

産業革命を世界で先駆けた繊維や鉄道産業を興したイギリスの繊維業者は見る影もない。かって、トヨタは、「作り過ぎのムダ、手持ちのムダ、運搬のムダ、加工のムダ、在庫のムダ、動作のムダ、不良をつくるムダの「7つのムダ」を排除し、極力在庫を持たず、必要なものを、必要な量だけ、必要な時にジャストインタイムで生産するなどの特徴を持っていた。使用した部品の補充を知らせる「帳票」をカンバンということから、かんばん方式とも呼ばれた。これらのジャパン・アズ・ナンバーワンと称された日本の製造業は、アメリカに果敢に挑戦を挑み勝利を勝ち取った。大量生産方式を武器に、第二次産業革命の覇者として高性能な車を安価に世界中にばらまき、アメリカのゼネラルモーターズ社を、2009年に破綻に追い込んだ。

 

しかし、それらの日本企業が“かつての姿″に戻ることはない。日本の電機メーカーはもう中国、韓国勢に勝てない。現在、世界経済のエンジンは日本でなくアジアだといわれている。無情にも、モノづくりの中心は他国に移動し、日本のお株をすっかり奪われてしまっている。

 

3 若者が夢や希望をもち、高齢者が安心して送れる社会を

 

    • 競争よりも共生を

 

極端な表現が許されるなら、日本は、いつ果てるとも知れぬ不況の深刻さに打ちひしがれ、不安に駆られている。20世紀の終わりまでは、日本は「競争原理」の中で優位な立場を保ってきた。しかし、この20数年、日本の大企業が後れを取るようになり、大企業を支えた多くの下請け企業も、「競争」の中であえいでいる。

 

「競争社会」とは、人間が対立しながら、生活していく社会であるから、負けた方は悲惨である。本来人間は、競争する本能よりも、厳しい自然のなかで共に協力して生きていくという力を備えているはずである。生後間もない幼児は、親の助けがなければ生存することさえできないことを想えば明らかあろう。

 

だが、諦めたり未来への希望を捨ててはならない。成熟社会に入ったこれからの21世紀は、日本人本来の知力と創造性、勤勉さにより、新しい企業を生み、雇用回復への道が開くであろう。しかし、これまであった企業がなくなる不安もないとはいえないが、これまでとはまったく異なった時代の風景が広がることであろう。そんな未だない社会を生み出すにはかなりの苦痛に耐え、それを乗り越える努力が必要になることは当然である。

 

「新しい酒には、新しい革袋を!」という言葉があるが、子供たちが夢や希望をもち、高齢者が安心して送れる社会という新しい酒をいれる袋をどうやって造りだせばいいか。それは、競争より共生を目指すことであり、負担意識より分かち合いの心を持つことである。これまでのシステムを考え直す時が来ているのではないだろうか。

 

 社会とは、人間が互いに助け合いながら、共同生活を営む「場」であろう。いやしくも人間が共同生活を営む社会というからには、「他者の成功に協力すれば、自己も成功する」という「協力原理」が埋め込まれていなければならない。社会の構成員として成長しなければならない。子供たちに、他者への思いやり、他者との相互理解等を教え諭す必要がある。人間は、社会を発展させ、共生しながら、心豊かなより良い社会を築き、お互いが食べていける社会をつくってきたのだから、これからもよりましな社会をつくっていけばよいであろう。

 

 ソニーの創業者の一人、井深大氏によれば、「心が発達すれば、人は自分以外の人の考えを理解し、また自分の考えを相手に適切に伝えられるようになる。」と。人間の絆こそ企業が発展する道かもしれない。昭和の時代には、土光さんのような無私の精神で会社経営に当たる人がいたが、最近は、ただ会社が儲かればいいという企業が多くなった。リーダーとしての美意識や哲学もなく、人間としての値打ちが疑われる。しかし、大王製紙の佐光正義社長は社員に、「君たちは全社員とその家族の幸せを背負っている。倒れるわけにはいかないんだ」と熱い。大王製紙の商品の内側にどんな哲学があるのか、リーダーの心がみえるようである。吉田松陰の「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に夢なき者に成功なし」という言葉は心に刺さる。

 

人間の絆を重視する「協力社会」では、政府の任務は、人間の能力を高め、人間の生活を守ることにある。「競争」は、人間の生活を効率的に営むための手段にすぎない。これを目的化した社会になってはならない。「競争社会」で敗者の烙印を押されれば、将来の不安に脅え、冒険することを控え、消費を抑制し、小さくまとまろうとする。消費需要が冷え込めば、不況は一層、深刻化する。不安は不況を生み、不況は不安を生むという悪循環が形成される。そのため、不況はますます深く長期化する。各国は、経済面では、競争から協力にむけて分かちがたく結びつく必要がある。

 

マレーシアのマハティール首相は、1982年に、昭和の時代の日本の労働に対する真摯な姿勢、戦後の復興への熱意、愛国心、独自の経営スタイル、職場での規律を学び、国民に見習えと唱えていた。それから30数年たった現在、「日本が苦境にあるのは、経済大国への道を切り開いた自らの価値を捨て、欧米に迎合したからだ。終身雇用制などに重きを置かなくなった。政府の指導や民間企業との協力関係はいまや犯罪視される。今は、日本の過ちから教訓を得るときだ。」と苦言を呈していることを肝に銘じておきたい。

 

●「オムソーリー(悲しみを分かち合う)、スウェーデンに学ぼう

 

世界的不況の中で、国民が悠然と暮らす不思議な国がある。『ロンドン・エコノミスト』が「絶望の海に浮かぶ希望の島」と賛美したスウェーデンである。1930年代にも、世界恐慌から脱出しようとして世界的潮流に例外的だったスウェーデンを、早稲田大学の岡沢憲芙教授が紹介している。(岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』岩波書店、)

 

 この世紀的転換期の大不況のもとで、不況と財政赤字という二重苦に苦しむ先進諸国の取り組みは、ドルという基軸通貨を握る覇権国であるアメリカをも含めて、なかなかうまくいかない。

 

 スウェーデンは、ユーロに参加していないけれども、財政を再建するために、国民に「強い福祉」を実現し、協力して「強い財政」を築いてきた。

 

 財政再建のために、経費を削減すれば、必ず貧しい人々が痛みを受ける。スウェーデンは従前の賃金の90パーセントを保障していた失業保険を、段階的に75パーセントへと切り下げていった。このように経費を削減すれば、競争に敗れた弱者が痛みを受ける。そこで、豊かな人々は税で痛みを分かち合って欲しいとして、豊かな人々の収める所得税の税率を引き上げた。つまり、貧しい人々は経費削減で、豊かな人々は納税で、国民が協力して痛みを分かち合おうと、国民に財政再建への協力を訴えたのである。

 

日本人は北欧について「納税の高負担の国々が、どうやって経済成長できるのか」という点に関心を抱くが、彼らは経済成長よりも、「尊厳をもって生きられる社会をどうやって築くか」を重く考えているのである。日本では、税や社会保険料を「負担」と考える。スウェーデンでは、社会サービスを「オムソーリー(悲しみを分かち合う)」と呼ぶ。他者に優しくし、必要とされる存在になることが生きることだと考えている。その概念が社会を支えているのである。

 

 こうして不況のもとで、あえて増税を断行し、財政を再建するとともに、スウェーデンは景気回復のために、経費支出の内訳を大幅に変えた。スウェーデンは国民の能力を高め、国民が協力して景気回復をはかることを企図したのである。

 

 つまり、人間の絆を重視する「協力社会」では、人間の能力を高め、人間の生活を守ることに財政が動員される。そのためスウェーデンでは、財政再建の過程で、教育・研究開発・環境・情報技術インフラ・福祉に、財源が重点配分されているのである。今の、日本のようにその場限りで財政をやりくりするだけではどうにもならない。

 

● 北欧型ワークフェア国家(新しい福祉国家)とは

 

日本の持つ課題には、原発、外交、社会保障、金融がある。経済に関しては、グローバル競争に耐える制度である。その背景にあるのは、日本がぐずぐずしている間に、米国、英国、北欧諸国など多くの国が経済のグローバル化に対応して市場重視の改革を進めてきた事実である。

 

 東京大学教授の神野直彦さんは、日本経済の処方箋として、 北欧型ワークフェア国家(新しい福祉国家)を目指し、北欧の能力開発型社会保障に学ぶべきだと提言している。ワークフェアとは、社会保障給付を支給する際に、代わりに受給者へ 就労を義務付けることである。新自由主義と決別し、失業者を再教育・再訓練して、産業構造の転換に結びつける新しい福祉国家のことである。新自由主義とは、レフリーなき競争であり、個人の自由は、すべて自己責任ということである。

 

グローバリゼーションのもとで、賃金が上がらない新自由主義を信仰する日本やアメリカと違って、北欧諸国の賃金は上昇し続け、高い経済成長を誇りながら、格差を縮小させることに成功している。その経済成長の源泉はイノベーション(技術革新)にある。持続的な経済成長を成し遂げるためには、イノベーションを担う人材を育てながら新しい産業を興さなければならない。単なる福祉国家ではなく、イノベーションに対応できる「能力開発型ワークフェア国家」への脱皮こそが重要なのである。この能力開発型ワークフェアは、衰退していく旧来型産業から、成長していく知識集約型産業へと産業構造を転換していくというビジョンに裏打ちされている。

 

高福祉・高負担の北欧式は経済のグローバル化が進む世界では行き詰るのではないか思われているが、実際は産業構造や労働市場を調整しながら経済成長を続けている。

 

教育面では、フィンランドは、経済協力開発機構(OECD)による生徒の学習到達度調査(PISA)において、常に「学力世界一」として、日本でも注目を集めている。学校には、テストなどの他と比べる競争はない。

 

正社員・非正規社員に拘わらず、同一労働同一賃金や、やり直し可能な「人間の成長を保障するワークフェア国家の形成は安心して働くことが出来、内需拡大にもつながるものである。

 

  •  大局観を持てる人材づくりが第一

 

 教育がとりわけ重視されているのは、経済成長と雇用確保と社会正義(所得平等)という三つの課題を同時に解決するからである。教育によって人間の能力を高めれば、その人間は雇用され、所得間格差も縮小し、生産性が向上して経済成長もする。人類の進歩も、過去の人類の遺産の上に、人類の能力が高まっていくからである。

 

 そのためスウェーデンでは、社会人の再教育を含む公教育の充実に全力が注がれた。それは、教育を受けてから30年間も効力を失わないような知識などない。10年も経てば陳腐化してしまう。知識はどんどん新しくなっている。日本では、途中で学び直そうとしても、暇やお金がない。スウェーデンでは、いつでも大学を初めとする高等教育機関や職業訓練機関に戻り、再教育を受ける機会が保障されている。しかも、こうした再教育は無償で、生活も保障されている。教育を高めるだけでなく、高まった高等教育機関や研究機関に蓄積された成果は、中小企業を中心に企業に技術移転されていく。世界のなかで、GDPに占める研究開発費の割合が最も高い国、それがスウェーデンである。

 

「教養を高め、大局観を持て」とよく言われる。別の言い方をすると教養とは、実際の役に立たないような知識を学んでいるように見える。文学、芸術、思想、科学などである。なぜ教養が大切かというと、教養がないと、大局観とか、長期的視野とかを持てないからである。真のエリート(教養のある人)を育成し、各分野において、国をリードしていける人材を確保する必要があるからである。大局観、長期的視野は、組織のリーダーや政治家だけに必要なのではない。子育てにおいて、その子が20年後、30年後を見据えて育てるわけであるから、人間にとって教養とは非常に大切なのである。

 

 人間は、人間のために最高の存在でなければならない。経済のために人間があるのではなく、人間のために経済はあるのである。これからでも遅くはない。生まれ出ずる痛みに耐え、人間を中心とする社会を目指して新しい日本を作っていきたいものである。つまり、日本を「希望の島」に再生するため、「競争社会」に別れを告げ、「協力社会」への道を学ぼうではないか。

 

そうすると、ライフ・スタイルが一変すると思われる。

 

4 技術の発展の歴史

 

● 明治百年(昭和43年)は、人の手足となった近代産業の時代

 

一九世紀の産業における「近代システム」は、イギリスの産業革命にみられるように、人間の体に身に着ける製品等の綿工業を基軸とする軽工業が中心であった。そして、奴隷船の漕ぎ手が、蒸気機関などの動力源に置き換えられたように、機械に従属した単純労働に置き換えられていった。鉄鋼業を基軸とする重化学工業の時代の始まりでもあった。

 

1968年(昭和43年)は、明治百年にあたる。1960年代は、企業や官公庁がさまざまな巨大システムを構築した時代である。その官民の組織の「システム化」を可能にしたのが、巨大コンピュータと電話回線で結ばれた端末の普及である。

 

電力に依存する生活、コンピュータや電話などの情報通信網、トラックや高速道路などに支えられる流通機構等、交通や情報のシステムの運用開始がこの年代に集中した。原子力発電所の商業利用にもゴーサインが出た。霞が関ビルが建てられ、東名高速道路の完成を建設が進み、東北本線は複線化し電化された。さらに、郵便番号が導入され、ポケベルの利用が始まり、自動券売機が駅に配備された。

 

また、インスタントのラーメンやカレーが家庭に普及した時代である。人類による宇宙開発が始まったのもこの時代である。現在は、宇宙空間には、開発・実験の「置き土産」として浮かぶ「宇宙ごみ」が爆発的に増え、地上のごみに加えての解決が急務になってきているが。

 

明治百年という20世紀の「現代システム」への転換は、人間の手や足の延長としての自動車や家庭電器等の耐久消費財等を基軸とする大量生産、大量消費を実現した産業構造である。こうした人間の手足の代替機能を備えた消費財が、人間の生活様式に取り込まれると、人間の生活様式も、そうした消費財の購入を前提としたスタイルに変わっていった。そうした生活様式の変化が、これらの産業に膨大な市場をもたらすことになったのである。

 

● 二十一世紀は、人間の頭脳の延長としての産業へ 

 

二十一世紀は、人間の神経あるいは頭脳の代わりとする、情報知識産業を基軸とする産業構造が中心となった。囲碁では、人工知能(AI)が囲碁のトップ棋士に勝利を収めている。人工知能(AI)を搭載した介護ロボットや、案内ロボットなど人間に置き換わるのもがたくさん生まれている。近い将来には、人間の労働はほとんど無くなり、人工知能にとって代わるであろうといわれている。

 

生産に欠かせなかった20世紀の旋盤は、人の熟練技術に頼り、旋盤を横に並べ、単一の製品を大量に生産してきた。別な製品を作ろうとすれば、別の生産ラインを引く必要があった。しかし、NC旋盤というこの新しい機械は、利便性を発揮し、自動化され、生産性を飛躍的に高めてきた。しかし、NC旋盤が生まれると、プログラムを換えることによって様々な製品を生産することができようになった。つまり、人間の熟練をNCに置き換えた。そのため、プログラムさえ換えれば、多種類の製品を作り出すことができる。これまでNC旋盤の作業者は自らプログラムを作成し、多品種少量生産を可能にしてきたが、このプログラムの作成も、近いうちに人工知能に置き換えられるであろうといわれている。このように、自動車や電機製品が無くなるわけではないが、産業構造は、情報知識産業へと転換されていくことになる。

 

● 第三次産業革命・製造業のデジタル化・三Dプリンター

 

 現在、第三の産業革命が進行している。製造工程がデジタル化された技術同市が融合し始めた。これまでのモノの製造方法は、多くの部品をそろえ、ねじで留めたり溶接したりして、一つの製品に組み上げた。

 

第三の産業革命のデジタル化は、コンピューター上で製品を設計し、三次元(三D)プリンターで「印刷」する。素材の層を連続的に重ねて立体物を作成する仕組みである。いまや個人で、普通の人がマウスのクリック一つで工場を動かせるのである。

 

ロボットが製造できる製品はますます増え、企業は人件費の安い場所に移動するメリットはしだいに失われてきた。世界の工場と自負する中国でも、ロボット化が進みつつある。電気自動車の製造は、中国が世界を制覇するかもしれないと言われるくらいに力を入れている。ロボット化は、人件費の上昇圧力から解放されることであり、労働環境の問題からも避けられるメリットがある。手作りの部分も少なくないが、産業ロボットは、高機能になり、人件費を考慮したとき、どこで生産するかはそれほど重要な要素ではなくなっている。

 

熟練した職人の技が機械化され、システムが新しくなれば、常に人間の側がシステムにあわせることとなり、近代化や合理化の名目で、人間の「成熟」や「熟練」をたくみに排除される時代に移行している。これまで、JRは特急券などの予約など、端末を操作する駅員には中身や正体がわからなくても使用でき、熟練は必要はないし、かって見かけた神業のようなスーパーのレジ打ちは、いまでは誰もがピッと一瞬で使えてしまうバーコードリーダーに駆逐された。ファストフードやコンビニをはじめ、多くの業種でアルバイトや非熟練労働者がすぐに働けるのも、作業マニュアルと運用システムが完備した結果である。効率が高まった分、人減らしも激しい。研修や講習でせっかく身につけた技術もすぐに陳腐化してしまう。今やスウエ―デンなどでは、お金(お札)を持ち歩かないで、体に内蔵したチップで金銭管理している。現金の持ち歩きも不要となり、今までの知識や技術は必要がなくなる時代の到来だといえそうだ。しかし、そういうプログラムを作ったのは人間である。

 

学校でも、先生は先生ロボットが登場し、生徒はパソコンやタブレットで勉強する時代がくるのかもしれない。人工知能を持ったロボット先生の方が教師の対応を超えるのではないかという。人工知能が人間以上になったとき、人間の価値はどうなるのだろうと心配される。

 

5 近未来の日本像

 

日本は現代、海外発の大恐慌、地震が引き起こした大津波、それからデフレからの脱却等を試みているが、さて、20年後の日本は、どうなっているのだろうか。地震により崩壊した町は復興し、日本の各地域は活気にあふれ、日本人は世界のありとあらゆる場所で、大いに活躍している夢を創造しよう。

 

日本の企業ばかりでなく、世界の企業、個人がさらなる成長を遂げ、自然を大切にし、環境にやさしい事業が伸びている。世界中から優秀な人材が集まり、仕事に活気があふれ、グローバル社会の中で、国を超え、人種や肌の色の違いを超え、男女を問わず、それぞれが付加価値の高い仕事を持ち、切磋琢磨する姿がそこにある。

 

環境保全と成長を両立した経済社会は、太陽や風などを利用した再生可能エネルギーや廃棄物の削減事業に投資したり、環境分野への雇用を促進したりして、環境問題への取り組みを経済の中心に据えているであろう。

 

日本人は、他人を思いやる心、勤勉さ、謙虚さに満ち、そして、経済的な自立心にも溢れている。内需を中心とし、情報社会は、通販にみられるような、生産・流通・消費が一体となった情報技術を活用したものづくりの社会になっている。そして、世界の状況も大きく変わり、2030年の世界は、今日とは一変した世界で、米国も中国もその他のいかなる大国も、覇権的な国家ではなくなっているかもしれない。

 

6 多様性には女子力の活用・・社会保障、内需(競争→協同)社会を変える原動力

 

日本の最大の課題は少子高齢化社会への対応であろう。それは女性の参加を必要としている。労働人口減の歯止めになるし、子育て世代や若者の支援に比重をおくことがカギである。日本が世界で生き残っていくために、多様な人々が生き生きと働ける社会をめざし、性別や年齢、国籍を超え、多様な人材を生かす「ダイバーシティー」の推進を考える必要がある。ダイバーシティ(diversity)とは「多様性」の意味である。現在、多くの企業が多様性の推進に取り組んでいる。

 

慶応大学の高橋俊介教授は、日本企業が直面するダイバーシティを次のように非常にシンプルにレベル分けしている。

 

・ 多様性ゼロ⇒新卒男子だけの採用、・ 多様性の初歩⇒中途採用、・ 多様性の中級⇒女性の活用、・ 多様性の上級⇒外国人の活用である。

 

女性や外国人を問わず、実力のある人材が最大限の力を発揮するような環境を提供し、組織の求心力を高める努力を怠っている企業は、将来の存続が危ういといって過言ではない。「企業戦略の一環」としてダイバーシティが重視されているのである。つまり、「多様な人材を取り込み、その人材が実力を十二分に発揮できて、正当な評価を受ける」という企業文化を構築することが、経営上の優先課題になっているのである。現在、異種企業同士のヘッドハンティングが行われ、企業改善が進んでいるという。

 

世界経済フォーラムの「男女格差報告」では、男女格差の順位では、日本は135ケ国中114位である。健康状態や教育の程度はまずまずなのに、政治への参加状況が110位と低い。日本が特に女性を低く扱っているとは思えないが、女性が働く条件は整えていく必要に迫られている。

 

(山梨県上野原市にある秋山温泉のスポーツインストラクターは、すべて女性であるが。)

 

日本の女性議員の割合は際だって低い。アジア太平洋経済協力会議(APEC)の「女性と経済サミット」で、日本が男女の雇用格差をなくし、女性が男性並みに就労して活躍すれば、日本の国内総生産(GDP)は10数パーセント増えると指摘している。ちなみに、一般職の女性の管理職は、米(43.4%)独(29.0%)、スウエーデン(30.5%)、日本(12.5%)である。

 

 「女性の力 日本も変える」「平和なくして平等なし、平等なくして平和なし」とうたって婦人参政権運動を率いていた市川房枝さん(参院議員)がいる。その遺志を継ぐ人たちが、国政選挙においても、女性の積極的な参加を呼び掛けている。

 

 しかし、日本の場合、働くことと家庭の両立は困難である。働き方改革だけでなく、社会のシステムを大きく見直す必要があろう。

 

7 自然と共に慈愛の心に満ちた社会を

 

北朝鮮とぐずぐずしたり、尖閣諸島の領有権などの問題でいざこざを起こしている時ではない

 

和辻哲郎氏の「風土論」では、牧場地帯やモンスーン地帯、砂漠地帯に分け、この自然の違いが、その地域に暮らす人々の考え方に、大きな影響を与えているとある。

 

この自然がヨーロッパの人間中心主義的な考え方を生み出した。ものごとの中心に人間を置く。それは、人間が中心となって守らなければ滅んでしまいかねない自然と共に暮らしてきた人々の発想であった。ところが二十世紀に入ると自然を大改造するだけの経済力と技術力を持った時、人間の都合のよいように自然を作り直すようになってきたのである。人間のためになるなら自然に対して何をしてもよいという風潮が広がっていった。経済発展のための都合の悪い部分は自然界をも押さえ込もうとした。そして、自然の破壊につながったことを考え直さなければならない。

 

「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(ブダペスト宣言)が発せられて10数年余になる。その前文に、「人間はみな同一の惑星のもとに暮しており、私たちは自然との相互依存の中にいる。そしてこの地球と自然との関わりを科学のあらゆる分野において維持されなければならない」とある。科学技術は、人類に対して様々な恩恵をもたらしてきたが、その一方で、失われたものも多くあるということを忘れてはならない。

 

 世界には沢山の課題があるが、各国が自立し、助け合うという平和な世界が必要である。欧州の地域の統合のように、アジア地域の統合を進め、民族主義を主張するのではなく、国家を超えた政治的、経済的、科学的な知の結集を図りながら、共に生きていく必要があろう。世界経済の中心は、日本でなくアジアだということを念頭に置きたい。

 

かって欧州連合が、戦争で傷つけ合った国々どうしが集まって、国境を捨てて一つになった。そして壮大な連合社会をつくりだした。 欧州は、ギリシャを筆頭とする財政危機にみまわれた。ベルギーのブリュッセルに拠点を置くEUの、総人口五億人のEUの国々が、その主体をギリシャでなく欧州の経済力と結束とによって、総がかりで取り組み、国際社会で大きな存在感を示してきた。危機の打開は、現在のグローバル社会では、一国の企業や政府だけでは限界がある。国境を越えた連携抜きには解決できない。

 

 これまで、近代の技術の発展は、圧倒的に欧米の成果に依拠してきている。日本は、戦後、欧米に追い付け追い越せの教育を進め、押しも押されぬ科学技術創造立国までになった。しかし、アジアの教育水準が高いにもかかわらず、国家を超えて共同する場を欠いている。欧米と連携を保つ各国共同の研究・教育機関・ネットワークをアジアに設立することは、この地域の将来にとって大切な課題であろう。自然との共生や災害への対応を共に考えることは、地域全体にとって貴重な知的財産となりうるのだが。

 

日本がアジアのリーダーとして人材たらんことを願うには、常に自己を統制し、「共生」という言葉が身についた思いやりの人間づくりが必要である。

 

内山節は、著書「怯えの時代」の中に、「何年か前から若い人たちの間で「利他」という言葉が復活していた。「物質的豊かさだけでよいのか」、「自然と共に生きたい」、「社会のために役立つ仕事をしたい」などである。「利他」とは、もともとは仏教の言葉で、他者のために生きることが最終的には自分のためにもなるという意味の言葉である。反対語は「自利」で自分の利益のために生きることを指している。

 

日本は、各国のローカルさを認めながら、積極的に知的指導力を発揮し、アジアの協力を進めるべきである。北朝鮮とぐずぐずしたり、尖閣諸島の領有権などの問題でいざこざを起こしている時ではない。

 

近代社会は人間たちの欲望を解き放ち、ためらいもなく自分の利益を追求していく「自利」の社会だったと言ってもよい。だがこの社会が全体としては豊かさをもたらしていないのではなかと疑問に思った時に、人々は別の生き方を模索しはじめるはずである。

 

8 財政危機の突破口は、エコ事業

 

財政危機は世界のどの国、どの企業にも平等に及んでいる。今は、「はい上がり」競争の時代である。グローバル経済が歩みを止めることはない。グローバル経済の激震に耐えられる雇用と生活を生み出すには、何よりもグリーン経済に世界のリーダー達が取り組むのが第一であろう。

 

 環境問題に国境はない。中韓の台頭と日本の低迷という構図を念頭に置き、欧州連合(EU)や米国の経済停滞のもとで、実効ある環境戦略を市民、政府、企業が知恵を出し合いながら進むしかない。

 

 なにしろグローバル資本主義20数年の揺り戻しである。景気も雇用も回復に時間がかかるかもしれない。しかし日本はもともと米国流の弱肉強食資本主義と一線を画し、人を大事に育て、生かして守るという経営で世界二位の経済大国を築いたはずである。初心に返り、自信を失わず、愚直にこつこつと努力を惜しまないことである。

 

地球温暖化防止のため、1997年(平成9年)京都で開催された気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)において採択された京都議定書がある。日本の義務は2008~2012年度の排出量を1990年度より平均6%減らすというものであった。しかし、原発が止まった2011年度から削減幅が減少し、日本は2011年末の国際会議で離脱を表明している。諸外国から、「なぜ日本は京都議定書を捨てたのか、なぜ多くの日本人が議定書を『誇り』ではなく、『恥ずかしいもの』とみるのか。理解できない」と疑問を投げかけている。日本の国民の多くは、京都の会議で世界が議定書をつくる中で、それが実行されていると思っていたのではないだろうか。しかし、経済産業省や経済界は「日本の削減が大きすぎる」「不平等条約だ」といって、実質的な二酸化炭素削減政策を避けてきた。京都議定書から20年過ぎた現在は、「日本は1990年代には省エネで欧州各国を引き離していたが今は追いつき追い越された」という。 日本のエコ技術が、環境王国日本としてリードし、科学技術創造立国としての力を発揮していく時を捨ててはいけないであろう。

 

自然環境の破壊が進めば、人間同士の争いが深刻化する。CO2の排出がハリケーンなど、異常気象を起こしていることに関心をなくしてはならない。大洪水、大嵐、竜巻、熱波などの異常気象は間違いなく人間が作り出している。

 

国連副事務総長のモハメッドさんは、地球環境問題を応急措置でなく、根っこから問題を解決するために、誠実で正直な日本人に期待していると述べている。

 

9 エネルギーは地産地消で 地下資源から地上資源へシフト

 

これまでの地下資源文明から地上資源文明への移り変わろうとしている。それは、地上にある資源、太陽光、太陽熱、風、水、海水、地熱、植物や動物(バイオマス)などに依拠し、太陽と地球が存続する限り枯渇することがない資源の利用である。

 

地上資源を活用するための技術は、小型化・分散化・多様化が必要である。

 

 地域には風力、水力、太陽光・地熱という自然エネルギーがある。そうした自然の恵みはそれぞれの地域が活用できる。エネルギーの地産地消を通じて、新しい産業を興し、「再生可能エネルギー」の導入拡大を図ることである。

 

 太陽光は各家庭の屋根にまんべんなく降り注いでいる。小型のソーラーシステムを設備する。発電は、日照時間などの自然条件に大きく関係するため、昼間の余った電力で水を電気分解して夜はその水素を利用した燃料電池を活用するというような多様化を進める工夫をすればよい。川幅が狭いが急流である河川には小型水力発電が適しているし、風の強い海岸線には風力発電が有効である。牛や豚の糞尿は発酵させてメタンガスを燃料や発電に使い、森林は薪や木炭をふんだんに供給してくれる。いずれもが、小規模ではあるがエネルギー源となりうるのである。地上資源は大量生産・大量消費には適さないかもしれないが、生産場所と消費場所が接近することによって少量の資源を無駄なく有効に使えるという良さもでてくる。

 

日本各地には、風力、水力、太陽光など様々な再生可能エネルギーを生み出し、エネルギーの地産地消の取り組みが進めば地域産業振興につながれば雇用拡大にも役立つはずである。地産地消型は、地元の自然エネルギー資源を使うことで、地元に雇用が生まれ、地域経済の後押しにもなる。太陽光発電をしている家庭で電気が余っていれば、隣の町に電気を融通するなど、隣近所で貸し借りして助け合えばよい。地域の暮らしに必要なエネルギーを、太陽光や風力、地熱、ダムを造らない小水力発電などの再生可能エネルギーで100%まかなっている自治体は全国に五十二市町村ある。

 

電気自動車が走り、風力や太陽光で作った電気で生活する社会は、コストや技術革新の高い壁を乗り越えなければならず、時間がかかるかもしれないが、地産地消の考えで、大量生産時代の中央集権の「お任せ」ではなく、地方分権の「自立」の精神で動く社会が期待される。そこにこそ持続可能な未来が見えてくると言えるのではないだろうか。

 

地産地消の歩みは、必然なのだと初心に帰ることである。石油に代わるエネルギーとして、欧米、特にドイツでは、自然エネルギーによってつくられた電気を既存の電力会社に固定価格で買い取らせる制度をとりいれている。日本でも東日本大震災後の2011年、福島原発の事故という経験から、政府は、「固定価格買い取り制度」を取り入れる再生可能エネルギー法を成立させた。

 

 米国で技術開発された太陽光発電は、日本が技術開発し、欧州が普及にむけた制度をつくり、中国が量産するという歩みをたどっている。欧州では戦後の石炭の共同管理が欧州連合の出発点となり、送電網も国を超えて行われている。アジアでも、再生可能エネルギーの導入拡大などのため、日本と韓国、台湾やインドネシアなどの送電網をつなぎ、余った電力をやりとりできるようにアジアの送電網を連携すべく日本がリーダーシップをとる必要がある。送電網を市場に開放し、さまざまな発電業者が参加できる電力システムにできれば、再生可能エネルギーや省エネの導入が進み、原発をゼロにできる可能性がある。原発による放射能の問題は、一日も早く解決したい。トイレなきマンションと呼ばれる原発などない方がよい。

 

どのようにすれば、地球環境に優しく、災害に強く、心豊かに暮らせる社会が築けるのか。自然エネルギーの可能性、地球温暖化対策等を真摯に受け止め、解決の道筋を探らなくてはならない。 エネルギーは、エコとの関係から断ち切ることはできない。

 

世界的にも今は三つのエネルギーシフトが進んでいる。エネルギーをめぐる世界地図が変われば、国際秩序や地球環境政策に大きな影響をおよぼすであろう。

 

 第一に、石油から天然ガスへである。岩層から採取される天然ガス(シェールガス)の量産が始まり、二〇三五年段階では天然ガスへの需要が石油に匹敵するまでになると予想されている。

 

 第二は、これまで述べた非化石エネルギーへのシフトである。ただ、原子力発電から自然・再生エネルギーへ転換するには、太陽光や風力といった自然エネルギーを今の3倍普及させる必要がある。脱原発というかけ声だけでなく、しっかりした覚悟をもってこれからの社会基盤を築いていくが必要がある。

 

  第三は、原発依存の変化である。原子力のシェアは、2008年の14%から2035年には10%に減る見通しだという。しかも原発が伸びるのは大半が新興・途上国で、先進国では依存度が減っている。

 

 幸い、日本ほどクリーンな火力発電をしている国は他にない。さらに、太陽光・風力発電などの研究を進め、我が国のクリーンな火力発電技術を新興国へ供与することが日本の責務ではないかと考える。

 

10 豊かな森づくり、 “森は命の宝庫”

 

家族と地域と自然を守ってきた日本は、発展の過程で猛烈に環境を破壊してしまった。かって、コメの生産を上げるため、田んぼに農薬を振りまいた。それにより、稲穂を食い散らかす昆虫はいなくなり、どじょうやフナなどもいなくなった。それらを餌としていた朱鷺は、絶滅の状況までおいこまれた。この時、人間は、自然の与える力はどんなに大きいか、自然との調和を図ることの大切さを身にしみて分かったはずである。自然には限度のあることを自覚しなければならない。空気や水や土は、あらゆる命を支えるものである。空気や水や土は、一度汚れると回復するまでに何十年もかかる。福島原発事故の放射能という農薬も、将来どんな問題が生ずるかと思うと心配である。自然が再生力を失ってきている。経済発展のためとはいえ、環境保全に力を注がなければならない。自然は、水源として、また土砂流出防止、野生動物の保護、大気保全などの価値を判断すると75兆円にのぼるという。経済成長と環境保全のどちらを優先するか、もっと環境保全に目を向けなければならない。しかし、自然を放置するのも問題がある。シカ害は深刻で、抜本的な解決策がない。松枯れや竹林の拡大なども課題である。

 

日本の森林資源は年に約8000万立方メートル増える。だが、利用しているのは2000万立方メートル足らず、放置されてジャングル化している。アルプスの国スイスは林業をうまくやっている。スイスの林業は、人件費の高さや地形の急峻さなど日本の林業との共通点が多いという。スイスは「山の価値を高める林業が必要」として固有の種を育て、手入れをしながら収益を得る持続林業に転じている。

 

 日本の森林政策は転換期にある。政府の森林・林業再生プランは、「コンクリートから木の社会へ。中央主導から市町村主導へ。国土保全から循環型の地域産業づくりへ。」という方向性を打ち出している。ところが現場では長期的視点を欠いた補助金頼りの林業が相変わらず大勢を占める。

 

 「近自然学」の提唱者・山脇正俊氏は、環境への配慮と経済を両立させるために「システムを変えなければダメ」という指摘する。危険な農薬は初めから持ち込まないというシステムが必要であろう。

 

登山家・田部井淳子氏は、健康のための山歩きブームを引き合いに「病院に払うお金を森に払うぐらいの気持ちはみんな持っているが、そんな制度はない。補助金を当てにするより、自然に感謝する気持ちを育むように森も整備して欲しい」と森への期待が大きい。

 

植林活動 “森は海の恋人〃というキャッチフレーズで環境問題に取り組んでいる畠山重篤さん(牡蠣の森を慕う会の代表者)は、1989年から宮城県気仙沼に流入している大川上流で植林活動を行っている。陸が雨水を保水する機能が弱くなり、湾に流入している川の水量が極度に変動すると、カキやホタテのなど海の生物が著しく減少してしまう。森林が伐採されたあと、裸地のまま放置されると、長年にわたり培われた腐植土が雨によって流出してしまい、保水という重要な機能もなくなってしまう。保水機能がなくなると、大洪水になったり、渇水になったりし、魚介類の生息が危ぶまれる。河川の上流の大森林が、豊かな海を支えているのである。

 

北海道襟裳岬は、300年前、アイヌの人々が生活しており、広葉樹の原生林で覆われていた。明治以降、本州からの入植者が森林を伐採した。土砂が風や雨により海に流失したため、沿岸の根付き魚をはじめ回遊魚もいなくなり、漁獲量は激減した。漁師は、漁場を失い、漁業で生計を立てることもできずに移住等が行われた。襟裳岬の再生は1953年、浦河営林署によって植林が始まった。2007年には砂漠化した約95パーセントの森林が蘇っている。森の10年は人間の1歳に相当するから、襟裳岬の森林はまだ5~6歳である。森林が昔のようになるには、これから数百年かかるともいわれている。人間にとって最も大切なのは水と空気であり、その水と空気を創っているのが森であり、それも森の葉っぱである。その葉っぱがなければ生物は生きられないのである。

 

11 ゼロエネルギービル(未来のビル)

 

 東大駒場キャンパス(東京都目黒区)の五階建ての「理想の教育棟」は、将来のZEB(ゼブ:ゼロ・エネルギー・ビル)を先取りした建物だ。特徴の一つは、窓ガラスと、裏表を白黒に塗り分けたアルミ板を組み合わせた回転ルーバー。夏は白い面を外に向けて日差しを跳ね返し、冬は黒い面を表にして日射を吸収して室内の空気を暖める。

 

 地下水を使った冷暖房も取り入れた。地下20メートルからくみ上げた水をヒートポンプで温度を調整し、天井パネルに流して空調する。地下水の温度は年間を通じて約一七℃で、初夏にはそのまま循環させることもできる。これらで冷暖房のエネルギーを減らす一方、屋上に設置した太陽光発電も組み合わせて、ZEBに近づけるねらいだ。東京大生産技術研究所の大岡龍三教授は「大学の施設の平均値と比べ、エネルギー消費量は約半分に減っている。今後、さらに調整を重ねて減らしたい」と話す。

 

 また、平成24年4月に、太陽電池パネルですっぽり覆われた東京工業大学の研究棟「環境エネルギーイノベーション棟」が完成している。設計段階で建物の表面温度をシミュレーションする手法も向上している。東京工業大の梅干野晁連携教授は、三次元のCADで設計した建物を、その土地の気候データと組み合わせて、どんな温度分布になるかを表示するソフトを開発した。建物に使われる材質や、周囲に植える木の高さなどが、表面の温度にどんな影響を及ぼすか事前にわかる。こうしたシミュレーション結果を元に、冷暖房に使うエネルギー消費を抑えた建物作りにも生かせる。

 

デジタル化などでエネルギーの使用量が伸び続けるオフィスビル。節電の重要性が高まるなか、省エネや自前の太陽光発電などを組み合わせ、消費エネルギーをゼロに近づけるZEBの実現に向けた取り組みが行われている。人の気配を感じてピンポイントで照明がつき、夕方の西日は日よけのよろい板のルーバーが遮る。地下水を使った放射冷房で真夏もひんやり、2030年には、こんな職場がいくつも実現しているかも知れない。

 

12 人ありて人なし・・・競争でなく想像力の基礎を

 

知恵を使い、言葉を使い、時間を使える人の育成を

 

立教大学教授、内山節先生が群馬県上野村住まれである。毎週開かれる「語り部の夕べ」で子供の頃の話をしている。

 

「何もない時代だった。米だけの飯などなかなか食べられず、食べられるものは何でも食べた。しかし、悲惨な時代ではなかった。あの頃の人間には、子供をふくめて、すごい力があった。何でも自分たちでつくりだす力があった。子供たちは、目にみえるすべてのものを遊び道具に変えていった。木を切り、それを削り、草で縄をなって、自分たちの遊び道具を完成させた。そして、あの頃は、誰もが自然の動きを受けとめる力をもっていた。他の人々の気持ちを受けとめる力ももっていた。自分の生活も大変なのに、自分の仕事を放り出して他人のために働く余裕を、村人はもっていた。因っている旅人は、どこの家でも泊めた。いまは、いい時代なんだろうと思う。一軒に二台も三台も車がある。食べ物の心配をする人もいない。何もかもがある時代になった。しかし私は、もしもできるのなら、何もなかった時代に戻りたいと思う。」と話を閉じている。

 

 何もない時代では、子供は子供なりに、競争ではなく自分の創造を生かして何かを作っていた。また、共に生きていこうと

 

する心を持っていた。そこには人間の仲間と共に生きるという素晴らしさが感じられる。

 

日本がアジアのリーダーとして人材たらんことを願うには、常に自己を統制し、「共生」という言葉が身についた思いやりの人間づくりが必要である。

 

「個人の意識改革」「政府・企業の意識改革」「教育・人材への投資」この三つを連携させ、心ある人材を育成し、科学や技能・技術を発展させたい。新産業を創造するなど、科学技術における競争力、発想力を支える一番大事なのは教育である。日本の学校では、先生に与えられた問題を、学生が解くことが中心の教育になりすぎている。目標達成には様々な知識が必要だが、一番大切なのは感性(思い入れ)であり、それは学びによってさらに高みに達していく。科学技術で成功するには、与えられたことだけをやるのではなく、やりきる意志が大事である。多様な人材が必要なのである。そのような人がいるようでいないのが実態であり、いまは、人ありて人なしの状況が感じられる。

 

 元文部大臣の有馬朗人さんは、「工学の究極は、人間の幸せをゴールにしていることであろう。その出発点は感性である」と指摘する。「感性」は、国語辞典によると「刺激に反応して感覚を生じる能力」と記してある。感性には、訓練によるものと生まれつきのものがある。感性を育てるのは、遊びが大切。大学では遅すぎる。個々のセンスを高めるには、多くの体験を積ませるしかない。幼稚園の先生が、感性ということを重視しながら、泥んこになって遊ばせている姿が思い出される。まず好きなことを自由に行うことにより感性を伸ばしたい。

 

 感性を耕やかし、人のためのものづくりの出来るのは、確かな技術と豊かな心である。その基本は、家族、郷土、祖国を愛することであろう。学校、その土地の空、風、雲を思い出して涙する情緒こそ国際人になる基本と考えられる。多くの体験により、家族愛、郷土愛、人類愛という最も崇高な愛が自然に生まれてくるものである。郷土の自然、文化、伝統を愛する人は、祖国のみならず他国の人々と同じ思いを理解できるであろう。このような情緒を教えることが人づくりの大切な基本であると考える。

 

世界との競争をどう勝ち抜くか、社会の要請にどう応えるか、地域の低迷をどう脱するかなど視点に立てば、競争力の強い先進産業、市場ニーズに応えた産業、地域の再生を担う産業の開発は必要であろう。安倍首相の言う「人づくり革命」が、感性を育てる教育と結び付き、知恵を使い、言葉を使い、時間を使い人々を幸せにする人をそだてることに繋がればいいと思わずにはいられない。次世帯の人材育成を怠れば先がないことは明白であるからである。

 

 

 

参考文献

 

 

 

私塾・リチャード・ルビンジャー著、日本人をつくった教育 寺子屋・私塾・藩黌・沖田行司著、二十一世紀日本はこう変わる・牧野昇著、流通列島の誕生・林玲子・大石慎三郎著、文明の災禍・怯えの時代・ 内山 節著、「里」という思想  ・内山 節著、明治のエンジニア教育・三好信浩著、競争力基盤の変遷・港 徹雄著、清貧と復興 ・ 出町譲著、科学と人間の不協和音 ・池内 了著 、明治百年・小野俊太郎著、子どもの声を社会へ ・ 桜井智恵子著、「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け ・寺脇 研著、中小企業における技能承継の現状と展望 ・中小企業金融公庫調査部、下山の思想 ・                         五木寛之著、「希望の島」への改革・ 神野直彦著 、日本近代化と教育・ハーバート・パッシン著