【総会報告】 令和元年511()1530分より アルカディア市ヶ谷にて

   下記の議題すべてが承認されました。

 1)平成30年度活動報告 (2)平成30年度会計報告 (3)平成30年度会計監査報告

4)役員改選

    新幹事:木暮 守雄、石坂 政俊、豊田 善敬,毛利 昭、橋本 三男、萩原 和夫、石井 末勝、渡邉 隆 (順不同)

 5)令和元年度活動計画

 総会 令和元年年511日(土) アルカディア・旧私学会館 

 ・第4回懇親旅行会の開催

 OB会通信の発行(年度3回予定)

 ・現役校長との交流会

 6)令和元年度予算

 7)会則改定 (新会則は最終ページに載せてあります。)

 

 総会・懇親会

 ご挨拶  

 幹事の皆さんから推薦され総会の承認を得て新幹事長になりました木暮守雄でございます。

 先輩会長・幹事長のような統率力・牽引力はございませんがOB会の発展に向けて微力ながら精一杯努力してまいります。

 ご支援のほど宜しくお願い致します。                      木暮 守雄

                                 

【会員情報】  新会員  入会を歓迎します。

 渡邉 (H31 蔵前工退)  山本 (H31 荒川工退)

 叙 勲  受賞おめでとうございます

 平成30年秋 瑞宝小綬章 教育功労者 石田 壽文(H3砧工退)  瑞寶雙光章 石塚 明(H3中野工退)

 令和元年春  瑞宝小綬章(教育功労者)  橋本 三男(H19 多摩工退)長澤作夫(H8 工芸退)

 訃 報  謹んでお悔やみ申し上げます。

 H31.3.3 大平 眞一郎(S58 保谷退)   H31.4.1 森 昭二(S63 中野工退)

 H31.4.15 平林 陸郎(2 烏山工退) R15.13 飯塚 幸郎(62 八王子工退)

 

【活動情報】  OB会旅行について

        親睦旅行を今年は、那須 芦野温泉で行う事になりました。

        日 時:令和元年1111日(月)、12日(火)

        場 所:芦野温泉 栃木県那須郡那須町芦野1461 tel.0287-74-0211

        会 費:12,000

          多くの会員の方々の参加をお待ちしております。

        参加を希望される方はOB会幹事の誰でも結構です。ご一報下さい。

        集合は、今のところ那須塩原駅に1330分を予定しています。

        参加される方には、後日旅行についての詳細をお知らせいたします

  

【シリーズ 学校訪問】      東京都立橘高等学校」      

 令和元年722日午後、木暮幹事長、髙間、毛利、豊田、石坂らは東京都立橘高等学校を訪問し、学校の状況をお聞きするとともに施設・設備の見学をしました。

 東京都立橘高等学校は、平成194月東京都立向島工業高等学校の敷地に東京都立向島商業高等学校を統合し「ものつくりから、流通・販売までを学ぶ」産業科高校として設立され13年目を迎えます。訪問の当日は、小・中学生向けの公開講座「わくわくドキドキ夏休み工作」が開かれており近隣の子どもたちの活気を感じました。  

  このようなご多用の中、菅原敏雄校長先生(商業)、佐々木義秀定時制担当副校長先生(機械)より懇切丁寧な学校概要や今後の学校改善に向けた説明を受けました。

  今回、訪問をした木暮、髙間、毛利、豊田は向島工業高校で勤務されていたこともあり当時を思い出しながら聞き入っていました。

 校門の脇に向島工業高校の発祥の経緯や学校の歴史を記した立派な碑が建造されており、向島工業高校の偉大な功績を垣間見ることができました。

 橘高校は、都立高校唯一の工業科と商業科を統合して地域のものづくり・伝統工芸に特化した「産業科」を設け、教育のコンセプトとしては「生産から流通、消費までを一貫して学ぶ」としています。地域の匠や伝統工芸士を講師として迎え、真のものづくりや身近な装飾品、食品加工を通して学習への興味・関心を高めるとのことでした。

 菅原校長は、橘高校開設から関わっており、現状を踏まえた新たな教育課程改革を現在進めているとのことでした。橘高校の現状を知る上で大変参考になりました。

地域に愛される学校を目指し、出前授業、公開講座を積極的に取り入れている。校舎は以前の工業高校の雰囲気を残し重厚感を感じました。校舎内は、清掃が行き届き、すれちがう生徒も明るい。他の工業系高校と異なり男女の生徒割合は、女子が六割と多くダンス部等の部活も活発とのことです。実習では、ジュエリー、ネックレス、クッキ・ケーキづくりの産業実習を設けている。又、地域の匠を市民講師に招きガラス工芸、革細工、ジュエリー、陶器の制作を行っています。

 今後のカリキュラム改編では、「伝統工芸」に特化した学校づくりを進めるとのことです。次に具体的な教科内容を少し紹介し、産業科を理解したいと思います。

 ・1年次「産業技術基礎」では、すべての生徒に「伝統工芸」に触れさせる。

       現   在                将   来

前 期

後 期

 

前 期

後 期

製図

電気電子

 

染色

皮革

金属加工

レーザー加工

 

金属加工

電気電子

食品加工

食品加工

  ⇒

食品加工

食品加工

クラフト

クラフト

 

クラフト木工

ガラス工芸

基礎デザイン

基礎デザイン

 

基礎デザイン

レーザー加工

陶芸

ガラス工芸

 

陶芸 陶器

陶芸 磁器

 ・2年次「産業実習」  テクニカル、クラフト、伝統工芸の3系統とする。  

テクニカル系

クラフト系

 

 

テクニカル系

クラフト系

伝統工芸系

NC加工

陶芸

 

 

NC加工

木工

陶芸

ロボット工作

木工

 

ロボット工作

パッケージデザイン

染色・皮革

製図・CAD

パッケージデザイン

 

 

食品加工

レーザー加工

ガラス工芸

環境分析

レーザー加工

 

 

 

 

 

食品加工

 

・2~3年次の選択科目と課題研究において「伝統工芸」の発展的内容を系統的に取り扱う。

・「製図」や「デザイン史」などを必修とし、座学の充実を図る。

菅原校長の案内で各実習室を見学しました。実習工場には、旋盤、フライス盤が整備されています。多くの実習室は、工芸・陶芸に関する機器、食品加工の設備、ジュエリーに関する工具も整備されており、産業高校の学習内容を理解することが出来ました。 

ガラス工芸                 皮革製品

 

 工業人としては、話を聞いただけでは理解が難しかったのですが、菅原校長先生の説明や施設見学をしたことで東京都立橘高等学校の現状が理解出来ました。                       (文責 石坂政俊)

 

 【会員投稿】

 ルイ・アラゴンの詩に出会った教育人生を振り返える

 「学ぶとは誠実を胸に刻むこと、教えるとはともに希望を語ること」

                                   H14 田無工  國廣 宗猷

 プロローグ

 70歳前後から患った右膝変形性関節症は、注射とリハビリでこれまでなんとか凌いできたが、ついに、平成30年7月11日に人工膝関節置換の手術を受けることになった。右膝の関節を切断し、チタンの人工関節を埋め込むという大手術である。現在、足は普通の時の2倍に腫れあがっている。

 私のこの足の腫れは、完全に引くまで半年はかかるといわれている。術後の今は4時間おきの痛み止めを飲み、足を動かす練習をしている。これも、退院以後の晴耕雨読の生活を目指してのことだが、明日を目指して、坂道をトコトコ登っている毎日である。

 ベッドに戻れば、暇である。これまでの自分の携わってきた教育について自戒の念を込めながら綴ってみた。

 教員になりたての頃はただ教科書を教えるだけで精いっぱいだった。個性に応じた教育の推進が謳われた中央教育審議会の「四六答申」(昭和46年)が出された頃が一番悩んでいたころかもしれない。放課後になると、「四六答申」の書かれた新聞を片手に、喫茶店に飛び込んでいた。そこで、英語の先輩の先生とそれを読み合わせては、教育について語った。それでもなお、教育ということがわからず、どこかで研究会が開かれているといえば、飛んで行った。

 四六答申」とは、昭和46年に中央教育審議会が、答申したもので、明治初年と第2次大戦後に行われた教育改革に次ぐ「第3の教育改革」と位置付けられていた。「四六答申」にそったその後の教育審議会の目標及び教育改革のための視点は、次のようである。

 《21世紀のための教育の目標》

   1 ひろい心、すこやかな体、ゆたかな創造力

     2 自由・自律と公共の精神

      3 世界の中の日本人
 《教育改革のための視点》 

    1 個性重視の原則

    2 生涯学習体系への移行

    3 変化への対応 

 多様な生徒を多様に教えるというのは難しい。思い起こすと、平素は、個性に応じて指導することを心掛けたのだが、年頃の子が40人いると何かと問題が起こる。道を間違いそうな生徒を見かけると、その時その時に応じた指導は欠かさず口を出した。私の教員生活は、生活指導の連続であったように思う。「時を守り、場を清め、礼をただす」ことなど口うるさく言っていた。

 西洋には教化という言葉はない。自分自身が人間として生徒の見本になっていたか。細かいことに口出しするのではなく、自らの態度や行動で暗黙の中で導くなどは、私の中では、夢の中の夢でしかなかった。私自身が、立派な教師などと思い上がるほうがおかしいからである。しかし、卒業生から時々、「先生はよく夢を語り、我々に対して誠実に対応してくれたことはうれしかった。」と言われるとまんざらでもない気がする。

日本の根底を支える、モノづくりに終わりはないように、「人づくり」教育にも終わりはない。人づくりのためにバッターボックスに立たないとヒットは打てない。放課後、生徒と一緒に掃除をしながら、みんなの状況把握に努めたり、学級通信を出したりして、人生で最も大切な愛と誠実さを心に刻み込むように、打率向上に努めてきたことは確かである。【相模原日赤病院501号室にて、平成30年7月30日大安吉日退院】

 1 「学ぶとは誠実を胸に刻むこと」

 個に応じた教育、それはどうしたらいいのか。実践記録から学びあう研究会を飛び回って最初につかんだのは、ルイ・アラゴンの詩、「学ぶとは誠実を胸に刻むこと、教えるとは、ともに希望をかたること」であった。「学ぶとは誠実を胸に刻むこと」というのは字面ではわかる気がするが、どうすればよいのか分からず、自分なりに教育を見直すことからはじめた。

 2 「学ぶ」とは

  学校は、テストのために知識を詰め込むところだという感覚の人が多いかもしれない。知識はもともと自分の外側にあって人から教えられたり、書物を読んで人から与えられたりするものである。基礎・基本は大切であるが、知識の量が多いからと言って、それが人生に役立つ割合は、一割に満たない。

 学校の本当の役割は、自分の内側から湧き出る知(知恵)を身につけさせるところである。学校は、身につけた知識や技術を活用できるようにする「知」の拠点と言っていい。人間は知を武器に生き抜いてきた。将来に備えて学び方を学ばせ、自ら考え、判断し、行動することのできる人間の育成を図ってきた。

 学ぶとは、見て感ずることが勉強だと心得えたい。決して、他人から無理強いされるもではない。本物を見る、手で触って、肌触り、手の感触、表も裏も舐めるように見る。自分の目で本物を五感(味・視・聴・嗅・蝕)で味わうと、自分で学びたいことが自然とつながってくる。大根ひとつ作るにも、毎年の観察と記録により、どんな時にどのように処置をすればよいかが分かってくる。そして、大根に愛情を注ぐことになる。物事を感じ、考え、創造していく「知」の力が人間を引っ張って行き、学問を楽しむに至って、成就するのである。知識の量や成績の良し悪しではない。答えをすぐ導くことだけを求めていると、自分のことしか考えない人間になってしまう。他人のこと、国家のことを考えないような人間では困る。自ら決断し、実行し、持続し、相手の気持ちになれるような思考力・判断力・コミュニケーション能力などが大切である。  

 また、正義感があり人を裏切らないいっぱしの人間だと言われる人になるよう学ばなければならない。一人前の人間になるためには、使命感、洞察力、情熱を発揮して、人格を磨くしかない。これら学力以外の9割がしっかりしていれば面白い人生を送ることができる。たとえ自分が無一文になったとしても「知」だけはなくならない。

 人生は旅のようなもの、何年たっても楽しい思い出は腐敗しない。人としての「知」を準備しておく必要がある。「知」がなければどんな実効性も持ち得ない。「知」は、人からお金で買えるようなものでもない。自ら高めるしかない。

 「知行合一」という言葉があるが、行いの原点は知であるということである。それが教育の原点であろう。

 私の先輩もよく「子供たちは、人間の値打ちはテストでは測ることはできない。テストのために知識を詰め込むのではなく、将来に備えて学び方を教えるのだ。」と話していた。つまずきそうな生徒の中には、個性を見つけ出してもらい、どれだけ助けられた生徒がいたか知れない。「人間はやさしさをかけてやらなければ育たない」というが、先輩の先生はよく生徒に声をかけていたことを思い出す。

 良く学んだ人は、万事に明るく、気持ちがさっぱりしている。さりげないけどお洒落で素敵だと思うような人である。懐の深い人もそうだが、育てようと思って育つものではない。

 学ぶというのは、人それぞれが一生背負ってゆかねばならない重荷である。倒れて死ぬまで努力しなければならない。孔子は、「われ15にして、学に志し、30にして立ち、40にして迷わず、・・・」という言葉を残しているが、「一生、励み怠らないぞ」という気持ちが大切であろう。

 のんびりとだらだら生きていては、生きがいなど生まれはしない。何かに挑戦しているところに初めて生きがいが生まれるのである。

人の心は、太陽が輝くように、一点のくもりがないのがいい。人に勝つこと、功を誇ること、怨むこと、欲しがることの四悪は人を曇らせる。富士山は高いからと言って威張ったりはしない、梶谷整形外科医院(私が通院している上野原の病院)の壁に咲いているバラも、きれいでしょと誇ったりはしない。ありのままの自然の姿が美しい。

 自分一人でことを成し遂げようとすると世の中がきしむ。出世したとしても、それに溺れてはならない。世に出られなくても、失望することはない。「友の出世を喜べないような情けない人間にはなるな」とは、父の言葉だったか。怒りや怨みは火のようなもの、やけどをしないうちに消すのがよい。人に背かれても、自分は決して背かない。なぜ背かれたかを反省し、自分を高める。欲望を抑えきれないのは、志を持っていないからである。志は、自分が恥とならい人間を目指すことから始まる。欲は、洪水と同じ、流されるとおぼれてしまう。自分によこしまなことがなければ悩むことはない。これらのことを心しておきたい。

 いい高校、いい大学に行くことは無意味ではないが、自分にどんな価値があるのかはっきりしておくことが大切である。そうすれば自分の志しいているものが見えてくる。  

 学問をするとは、人間として何が大切かを学ぶことである。例え、家財を失い、仕事を失い、健康を失っても、1度自分の身に備わった「知」はなくならない。学問と芸術を深く愛せる人は深く味わいのある人生が送れるであろう。

 3 「誠実」とは

 誠実とは、あらゆることを真面目に考え一生懸命取り組むことである。人間の心の役割は、思うことであり、思うと真面目に取り組むようになる。

嘘をつき、人をだまし、自分勝手に行動することがまかり通るようでは、社会は成り立たない。誠実でない社会は不信と混乱が入り交ったものになる。思うことは、世界の平和と福祉であろう。人類の仇になるようなことはあってはならない。

宮澤賢治は、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」と言っている。社会全体が誠実という言葉につらぬかれなければ幸せはないということであろう。

 人間は、人として、いくつになっても集団の幸福のために命を脅かされない程度の犠牲は払わなければならない。人生とは、「人のために他人と共に生きること、それだけが生きることだ」と、ノルウェーの劇作家・ハイベルグの言葉がある。

幸福な社会には、「愛」がある。「愛」のない社会は不幸な社会である。愛があれば、子供を叱るが、無ければ無視する。人々の愛だけが人類を救えるのだと言っても過言ではない。どんなに知識や技術があっても、人を愛すること、助けること、恩に報いることのできない人は人間ではない。人は、誠実さを胸に刻み人間として成長するのである。国民が道義に目を向けなくなったらどうにもならない。4月10日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に、あるタレントの娘が登場し、いきなりため口で話し始めた。視聴者は、どう教育したらこんな人間になるんだろうと批判しきりである。人間にくずはいないと教育者の一人である金澤嘉一先生は言うが、誠実さを教えらずに育った子は不幸である。

また、「感謝のないところに幸せはない」、人生において大切なのは「愛」と「感謝」の中で誠実に生きることであろう。

 4 「教えるとは、ともに希望をかたること」

 人には、やらなければならないことがある。人によっては、したいことしかしない、何をしてもいいという考えの持ち主がいる。それが自由だとうそぶいているがそれはやはり子供の判断であろう。人間という字は、人の間と書く。人と人との間がうまくいくのが人間である。勝手気ままな心情がまかり通るのは、道徳を馬鹿にしているからであろう。道徳は、人間関係をこんがらせずにやっていくための謙虚な知恵なのである。

 教育というのは、理屈ではなく、教師の深い理解と愛情、それに、本人の向上心や努力がなければならない。それに良識ある広い視野と、正しい判断力による指導が加われば、まさに理想的な教育ができる。

 私の惚れた先輩の先生は、教育という行為が分からずにもがいていた私に、一緒に本を読み合わせながら、希望を与えてくれた。教育に打ち込みたいと思ったのは、その人がきっかけである。いい先生に出会うと希望の風が自然と吹いてくる。教育は、豊かな感性があって初めて理性が育つ。教育は励ましの連続であると言ってもいい。教育というのは、結局、あるきっかけから自分をつくることである。

 「子を養って、教えざるは父の罪なり、師道にして厳ならざれば師の怠りなり、父教え、師厳にして学問ならざるは子の罪なり」という教えがある。親はしっかり教えなければならない。教師は、厳格でなければならない。優しさが愛だと勘違いして、我儘にさせてはいけない

 教えるには、「師によって自然に教化する、師の行為をまねさせる、師の言葉で導く」の3つが必要である。このことは欠かせない。

 サッカーを子供に論理的に説いても子供はわからない。一流選手と一緒に練習すればすぐわかる。一流という人は、教えるということがよく分かっている。何事も一流を目指している人と接触させるのがよい。

 自分が何をしたらいいのかよく分からない時は旅をするといい。研究会なども旅の一つと考えているが、旅をすると何かつかむものがある。その土地の味や香りに出会うとさわやかな風が吹き抜けていくものである。希望がなければ何事も成就するものではないから、あの人のようになりたいと惚れる機会があるのが一番いい。

 宮澤賢治の詩に、

 私が先生になった時、自分が理想を持たないで、どうして夢が語れるか

  私が先生になった時、自分に誇りを持たないで、子供たちに胸を張れと言えるか、

  私が先生になった時、自分がスクラムの外にいて、子供たちに仲良くしろと言えるか

  私が先生になった時、自分の戦いから目をそむけて、子供たちに、勇気を出せと言えるか」

 というのがある。そんな詩に惚れて、自分を高めることに努力はしてきた。

 5 個性重視について

 個性重視の考えは昔からある。個性というのは善とか悪とかではない。その人の特性の使い方である。大分県日田の広瀬淡窓は「鋭きも鈍きもともに捨てがたし、錐と槌とに使いわかねば」といっている。

 私は、担任を持っていたときは、入学してきた生徒と必ず面接をしてきた。「どんな人になりたいの」「なぜこの学校を選んだの、本当の気持ちを教えて」「学校に何を望んでいるの」「クラスの仲間に何を望んでいるの」「担任の私に望むことは」等々である。生徒と感性をぶっつけあって個性を重視したいと考えていた。地球上の生物に何1つ同じものはいない。それぞれの人は、社会のために、それぞれ違った役割を課せられているからであろう。

 個性重視・才能重視の考え方は、「経済構造が変化し、社会の価値観が多様化するなど、我が国の社会が変化の激しい時代を迎えるということを考えると、18歳の時点での大学入学試験の合否は、もはやかつての大きな意味を持たない。その後の人生においていかに学び、真の実力を身に付けていくかが重要な時代となってきた。

 現在の社会の変化は凄まじいものがある。2040年には、ロボットの台頭や企業の能力主義の徹底などで現在の雇用の40%が喪失し、企業の寿命が30年になり、人生100年時代となるといわれている。そんなことになれば、時代の変化に応じて、学びなおさなければならないことは沢山出てくる。一時的に学んだ知識など、10年もたたないうちに役に立たなくなる。

 人生はそれぞれだというが、ワーグナーは音楽に、ピカソは絵画に、ミケランジェロは芸術に、ボクサーは腕に個性をかけてきた。これらの人は、たとえ無一文になったとしても、体に財産を身に着けるというそれぞれの個性に応じたみちを歩み続けてきた。芸術家などは、80年、90年の人生の中で、見る目を磨き、腕を磨いて美を追求した後、作品を完成する人が多い。よって、生涯をつぎ込んだ作品は後々評価されることになる。

 だが、サラリーマンには、社会の変化がすぐに大きくのしかかってくる。企業内の能力主義が徹底していくと、その場その場の能力が評価される。社会にも能力を重視する意識が浸透し、個性・能力を中心とした競争は一層激しくなっていく。それぞれがそれぞれの変化について行けるかどうか心配である。

 個性重視には、「自分ができること、自分にしかできないこと、それで生きていく、自分なりに世の中の役に立てばいい」という発想を持ちながら、自らを鍛えておく必要がある。

人は、才能があっても度量がなければ成功しないし、度量があっても才能がなければことを成就することはない。

 誰もが皆、生活や芸術から感ずる理想を追って、実践に励むことしかない。どこかですり抜けて近道をしようとしてもそんな道はない。教師は、世の中をよくするために良い人材を育てるしかない。良い人材の育成を志し、信念をもって突き進んで努力するしかない。どんないばらの道であろうと、目標さえしっかりしていればすべての行動が楽しみに変わる。

 「努力する者は希望を語り、怠ける者は不満を語る」とカントはいう。誰もが夢に向かって努力してほしい。「玉磨かざれば器をなさず、人学ばざれば道を知らず。(礼記)」という言葉がある。積み重ねた日々の努力は、必ず形となって現われる。日々の修練で得た自信こそ、自分の最大の武器になる。努力なしでは、人間の本質や機能を低下させるだけである。

 親や教師だけでなく、地域のみんなが、これらのことを踏まえ、子供の持つ夢を応援してやりたいものである。